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東アジア放送作家カンファレンスさらだたまこの編集後記

「随分大変そうだけど、大丈夫?」と、本番が近づくにつれ、気遣う言葉ばかりをかけてもらった。

事務局デスクとして、私の名で発信するメールや文章がやたら多くなったので、誰よりも仕事をしてる風に 見えてしまったのだろう。

けれど、コアなスタッフとして関わった協会員達は、同じ物差しでは測れないほど膨大な仕事をそれぞれ抱え、淡々とこなしていた。そのモチベーションは何?親交を重ねてきた韓国放送作家協会の友人達や、中国の作家達にきちんとお返しがしたかったという気持ちが根底にあったのは確かだ。

だが、愚痴を言いつつも、人が人を呼び、人の輪が広がっていく不思議なベクトルを感じると、日に日にスタッフ同士の結束は強まり、やる気に拍車がかかった。

人が関わる限り、そこにドラマが生まれ、我々自身が泣いたり笑ったりして演じていた。

そもそも人間が好きだから・・・・・・これも作家の性だと思った。

さらだたまこ

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東アジア放送作家カンファレンス冨川元文の編集後記

数年前からかと思いますが、テレビドラマの多くが架空の世界で構成されるようになり、筋立ても実生活から離れ、登場人物もドラマ上だけの非現実的な人物像になってきました。こうしたドラマは非現実を楽しむことが心地よいエンターテイメントとなっていて、それが高視聴率につながったのだと考えます。

また、いわゆる韓流ドラマも同じような理由で大人気をなったのだと思います。

しかし、いつしか、テレビドラマの中には「人」がいなくなっってしまったような気がします。

生身の人間、生活している人が登場しなくなりました。韓流ドラマを観て、もう一つ物足りない気がするのはドラマの中で韓国の人と生活を感じないからかもしれません。

日本のドラマを観てみる欲を感じなくなったのはドラマの中に日本人が見えないためだと思ったりします。 昨今、日本ではテレビドラマの危機という声がよく聞かれます。

制作費がかかるのに視聴率が取れないことで、テレビドラマが番組表から消えるのは有り得ることかもしれません。

思うに、もしかすると、非現実を楽しむ「人」が出てこないエンターテイメントもそろそろ限界が来ているのかもしれません。こうしたドラマ事情の時、東アジアの作家が集まった今回のカンファレンスは大切で重要なことだった。会議を終えて改めて思うところです。

冨川元文

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東アジア放送作家カンファレンス津川泉の編集後記

韓国で発行されている機関誌「放送文芸」7月号を大急ぎで読み、じっくり訳しながら感じたことは、それぞれの韓国作家のみなさんが、会議と行事を楽しみながらも、しっかりと作家的視点でわれわれ運営の準備段階から最終見送りに至るまでつぶさに観察していたということです。

毎月100ページ余りの機関誌「放送文芸」を発行している韓国放送作家協会。内容は作家が直面している問題はもとより、過去の台本からアーカイブ的に貴重な過去の作品を採録紹介ている。私ども協会は2009年、創立50執念を迎えます。願わくは「放送文芸」のような機関誌を編集発行できるような力をつけたいものです。

津川泉

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東アジア放送作家カンファレンス南条廣介の編集後記

放送作家といっても小生、音楽・トーク畑なので、ドラマは見て楽しむ方専門です。この3年ほど続いた新聞のコラム書きが終了となり時間があいたので、事業報告書づくりをお手伝いすることになりました。

カンファレンスそのものは体験していません。 それでもこれが放送界の地殻変動の中で好ましいベクトルの一つであると報告書を読みながら理解した次第です。「箸の文化圏」が一つの大テーブルとなって、そこに数々の美味しいドラマが並び、国を超えて人々が好きなように味わえる。

見る方専門としても、実現に値する夢だと思っています。

南條廣介

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